アメリカ合衆国の常識は世界の常識

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ちょっと前だがHotWiredの記事で「ジョブズとゲイツ、真の「善玉」はどっち?」というのがあった。
内容は、ジョブズとゲイツのどっちか偉いかという話。
飲み屋の与太話としては面白いが、どっちでもいいじゃんとも思う(笑)
それより気になるのが、前置きもせずにキリスト教的価値観によって論評されている点。
このコラムはアメリカ人的にも非常に賛否両論あるらしく、
“「ジョブズとゲイツ」比較コラムに手厳しい批判(上)”“「ジョブズとゲイツ」比較コラムに手厳しい批判(下)”と2回も読者からの批評を載せている。
その中に以下のような投稿があった。

投稿者:『ノット・インポータント』(Not Important:どうでもいい)
 イエス様は献げ物が置かれた場所の反対側に座り、人々が献金箱にお金を入れるのを見ていた。多くの裕福な人々が大金を投げ入れた。だが貧しい未亡人がやって来て、小さな銅貨を2枚入れた。1セントにも満たないわずかな額だ。
 イエス様は弟子を呼ぶとこう言った。「これは確かなことだが、この貧しい未亡人は他の誰よりもたくさん献金した。他の人々は豊富な財産の一部を献金したが、この女性は貧しい中で、生活するために必要なものすべてを捧げたからだ」

ハッカーと画家という本の中に「古代ヨーロッパでは今のように富の生産ペースが大きくなく、富の総量はほぼ一定だった。従って、他人より多く働くということは、限りある富を独占したいという意味を持つ。したがって必要以上に働くことが忌み嫌われた。そこから自分が生活するために必要な分以上稼いだら他人に施せという文化が生まれた。」とある。さらに「富が有限のものである以上、人並み以上に儲けたという事実の裏には、ほとんどの場合犯罪行為かそれに類することが行われた結果である」ともある。
怖い人たちが沢山いそうなので最初に言っておくが、俺自身は無宗教である。よって、宗教的な非難を受けても議論のしようも無い。間違いがあれば訂正する。あんまいじめないでね(苦笑)
誤解を恐れずに言えば、福音書で「貧しい人々は幸いである」「富める者が天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と語られているように、ユダヤ教が見捨てるような貧しい人々に受け入れられるように説いたのが原初キリスト教である。
一方、15世紀の活版印刷の普及以前は当然聖書は写本によってコピーされ、それはもっぱら聖職者のみが読むことのできるものだったらしい。
ということは、聖書の解釈はおろか聖書に書かれていた内容事体その地の聖職者、もしくは権力者の意向を強く反映した内容になるのは想像に難くない。
貧しい人々を祝福するのが初期キリスト教の特徴ならば、後のものがこれを逆に使って「人は貧しくあれ」という教えに変換し、さらに上記に引用したキリストの言葉を「自ら生活を省みずにすべての財産を進んで献金するというふうに解釈」すれば、「人民は貧しくつつましく生活することが正しい」となる。人口の大多数がちゃんと労働したうえで余剰金を献金し、あえて貧乏な生活をしたらどうなるか?あくどい聖職者達、その後ろにいたであろう権力者達は自動的に働かずに富める者になれる。
根拠として中世(17世紀頃)において宣教師が植民地政策の尖兵となって働いた事実があるだろう。
無論これは結果論であって、すべての宣教師が植民地政策を進めることを目的としていたわけではないとは思う。単に時の権力者が「曲解したキリスト教を広めることによって統治がしやすくなる」ということに気づいていて、結果として多くの宣教師が利用されたのではなかったかとは思うが…
キリストの言葉を著した新約聖書が西洋における15世紀の活版印刷の普及までの間にどのような内容的な変遷があったのか知る由も無いが、そういう想像も働かせられる。
まあ、キリスト教がどういう経過を辿ったのかは知る由も無いが、キリスト教的概念のうちこのコラムに関係するところだけ挙げると
金儲けは罪悪だ。
慈善活動や寄付は善行だ。
天国に行きたければ罪を償え(善行を積め)。
この国は自由の国というわりにキリスト教的な観念で物事を判断していることが多い。それはそれでこの国の文化だと言ってしまえばそれまでだか、この国には国教の定義が無いのだ。国教がキリスト教だというのならば仕方が無いが、この国のほとんどの人がそういった観念をキリスト教由来のものだと認識していないことは困った点。キリスト教的前提条件を全世界的に共通の概念だと思っている。
#というよりも「その前提がアメリカ人だけのものだと考えたことも無い」というほうが正解に近いかな?
さらに困ったことにキリスト教由来かそうでないかにかかわらず、自分達の常識の他に”常識”があるなんて考えたことも無い。「郷に入れば郷に従え」なんて概念は存在しない。
#逆に「郷に入れば郷に従え」なんて日本人以外に通じるのだろうか?
過程は違うが結果として中国の中華思想みたいになってる。
グローバルスタンダードとか言ってアメリカの常識を他国に押し付けるのが良い例。
#これも一部の賢い人たちが”わかっていてわざと”やっているのではないかと思うけど。
日本人に身近なのは、捕鯨反対運動。
以前、なんで鯨を食っちゃいけないの?なんで賢いっていえるの?って”熱心なキリスト教徒ではない”アメリカ人に聞いたら「鯨の脳味噌は人間の脳味噌と同じ大きさだから同じくらい賢い」からだって言ってた。
「脳味噌の皺って概念知ってる?」って聞いたら「知らない」だって。
まあ、この人は捕鯨反対運動をしているのではないのだけれども、これは結構一般的な考え方らしい。
それを聞いて思わず「じゃあしょうがない」って言っちゃったよ…
#アメリカ人的には質ではなく量が大切らしい。というよりも質という概念があまり無いのかも。例えば車。車に関して日本人はDOHCだの可変バルブだの質にこだわるが、アメリカ人がこだわるのは排気量と気筒数。日本のような直列四気筒のエンジンなんて乗らない。V6、V8のエンジンが良いエンジンだそうな。
しかもよほど出来た人で無い限りは自分達の常識を覆すような事実を受け入れることはない。
進化論反対な人々は極端すぎるけど良い例。
#突然飛ぶけど日本のNHK-BSでもやってる名探偵モンクの何話目かで、小学校の理科の先生(だと思う)が「金魚は絶対1年以上生きない!」って言い切ってた。こっちでは何度も再放送されているところから見ると、アメリカ的常識では正しいんだろうねぇ…
こんな根拠だけで他国の文化に干渉できるってのは、日本に内政干渉してくる二国と変わんないよね。個人ベースの活動か、国家としての行動かって大きな違いはあるけど。
批評の中には以下のようなものもある。

投稿者:ジョシュア・ルバスール
 そもそも、人間の価値が慈善活動への貢献度で決まるなどという考え自体が思い違いだ――このコラムは、慈善活動は善行だが企業活動はそうではないという前提で書かれている。この前提がばかげているのだ。ビル・ゲイツ会長もスティーブ・ジョブズCEOも自社の製品を販売することで社会に利益を与えているし、社会貢献もしている。2人には善人になるために慈善活動に寄付する必要などない。2人の資産量そのものが、社会貢献の度合いを表しているのだから。
 世の中への貢献度は、慈善活動より企業の方がはるかに高い。あなたの胃に朝食が収まったのは、慈善活動のおかげなのか?それとも欲深い農民や梱包業者や輸送業者や小売店の店員や料理人のおかげなのか? あなたや家族が夜暖かく眠れるのは慈善活動のおかげなのか?それとも欲深いエネルギー会社が市場価格でエネルギーを供給したからなのか?

これが一番的を射ている批評だと思う。
金儲け主体の企業活動が社会に与える貢献を端的にあらわすには
アメリカ式物質文明がはびこっている国々で「水道、電気、冷蔵庫、TV、電子レンジ無しの生活をいまさら出来るのか?」ということ。
どれも最初に開発された頃は高くて庶民の生活には無縁のものだったはずだか、営利目的の企業活動のおかげで相当な貧乏人でも持てるようになったのだ。この社会貢献は、確実に貧乏生活の質を高めているじゃないか。これは企業のもたらした社会貢献そのものではないのか?ということ。
企業活動は貧富の差を生み出しているかもしれないが、その反面巡り巡って貧しい人々の生活の質を向上させているのである。
#間接的にもモノを生み出さない企業は別。滅びてしまえ(笑)
しかしHotWiredがあえて載せていないだけかもしれないが、この善悪の観念自体がキリスト教由来であるといった批評は見られない。
上記の文章中でも「そもそも、人間の価値が慈善活動への貢献度で決まるなどという考え自体が思い違いだ」という点に気づいているにもかかわらず、この概念がキリスト教由来であるといったところまでは辿りつけてない。
これは如何にキリスト教的概念がアメリカ文化に深く根付いるかという象徴である。
「如何にアメリカ人の善悪の観念がキリスト教ベースのもので、如何に他の文化に対する理解度が低いのか」ということがこのコラムから考えさせられた。というお話。

2 thoughts on “アメリカ合衆国の常識は世界の常識

  1. 長いぞ。
    それはそうと、善行を行ったものだけが天国に行けるとかいうけど、天国に行きたいから善行を行う=己の欲望のために善行を行う。
    これは偽善だ〜!
    つまり、民度が低いことの証明。
    空気を吸うように善行ができなければならん。
    そんな奴いるのか?!

  2. >長いぞ。
    酔っぱらいが書く文章は概して長いのです(笑)
    >空気を吸うように善行ができなければならん。
    >そんな奴いるのか?!
    偽善も年季が入って目的と手段が入れ替わっちゃう人も稀にいるのではないかと。
    このように元々は自分の為に偽善行を積んできたのに、いつの間にやら偽善行自身が目的になってしまった場合。これはまだ偽善なのであろうか?(笑)

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