ITmedia 小寺信良:コミュニケーション衰退に見るIT時代の終焉より
IT化というのは、単に誰でも情報にアクセスできるというだけなのである。そしてそれは同時に、膨大な情報整理を自分で抱え込む結果となった。つまりコミュニケーションができるようになったのではなく、話がスラッとわかって、いらないものは瞬時にスルーするという、より高い言語能力+情報処理能力が問われるようになっただけ、なのである。ITは決してコミュニケーション能力を育てないということに、早く気付かなければならなかったのだ。
コミュニケーションについては後述。
まずは情報処理能力について。
俺はこうは思わない。
接する情報が多くなった事によって、確実に”情報を捨てることなく処理出来る能力”は増大していると思う。(情報処理能力の中に”情報スルー能力”を含められてしまったので冗長にしか書けねえよ…)
近代の日本での例に留まるが、ぱっと挙げるだけでも似たようなマイルストーンが沢山ある。
生まれた時から潤沢に本があった世代。それ以前は口伝しか無く、当然一生の間に接する情報は少なかったはず。
生まれた時から新聞があった世代。それ以前は自分の住んでる地域の情報しか手に入らなかっただろうし、情報の鮮度も悪かったはず。
生まれた時から公共交通網があった世代。それ以前は徒歩。旅行、移動の負担が減った。
生まれた時から郵便網が整備されていた世代。それ以前は気軽に遠隔地と情報交換出来なかった。
生まれた時から電話があった世代。それ以前は手紙しか無い。
生まれた時から一家に一台車がある世代。それ以前は電車、バスのみ。
生まれた時から航空機があり、気軽に海外に行ける世代。それ以前は本や数少ない旅行者からの伝聞のみ。
生まれた時からTVがあった世代。以下略。
各マイルストーン前後で一人の人間が接する事の出来る情報の物理的な量、鮮度が格段に変化している。
それぞれの世代の前と後で、人間の”情報を捨てることなく処理出来る能力”は変わらなかったのか?現代人の情報に対するキャパシティは口伝の時代と一緒なのか?
情報スルー能力とは各マイルストーン後における旧世代の悪あがきではないのか?
コミュニケーションの基本は、人と会って話すことである。ITテクノロジーを使ってコミュニケーションを取ることは、その代替であって、本質ではない。
それぞれの時代に同じような懐古主義の論説があったんだろう。
しかし”ITテクノロジーを使ってコミュニケーションを取ることは、その代替であって、本質ではない。”という論調。これは旧世代人の言い訳ではないか?
一方で対面のコミュニケーションでは、意志の疎通を図る間に、お互いの意識を共有したり、あるいは話の途中で発見があり、成長することができる。このようなことは、「伝達」とはやはり本質的には違うものである。
ITを手紙、電話と置き換えてもこの論は意味を変えずに成り立つのか?
なんか”子供は家の中でTVなんか見てないで表で遊べ”みたいな論調に似ている。
I個体としての人間の進化なんてたかが知れている。
世代の交代によってしか人類は進化しない。
生まれた時から携帯電話があった世代=同時に物心ついた頃にはインターネットが普及してた世代。
旧世代人の俺らには奴ら同士のコミュニケーションを本質的に理解する事は出来ないのかもしれない。
ITが人類に何をもたらすのかなんて奴らが大人になるまで待ってみなきゃわからない。
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